人生という登山

2018-02-03

ありがとうございます。

 

人生が登山に

例えられることがあります。

 

もし、そうだとしたら、

あなたは、どんな山に登っておられますか?

 

富士山のように高い山に登る

と良いと言いたいのではないです。

 

人間が、無意識に登っている

山は二つです。

 

ひとつが、「損得山」です。

 

その山に登る人は、

常に、何をするにも、

それは、自分にとって、得なのか?損なのか?を考えながら登っているのです。

そのため、自分が損するとわかると、怒り出します。

 

自分が得するなら、人を損させても、平気です。

 

その山に登る誰もが、自分以外が困っていても平気です。

 

自分が、他の人を助けることは損なことだと考えるからです。

 

さらには、人を押しのけても、我先に登ろうとするものまでいます。

見ていても、決して気持ちの良いものではありません。

 

 

一方、

こんな山に登る人がいます。

その山に登る人は、誰

かが、道に迷っていたら、

丁寧に道案内をすることでしょう。

 

お腹がすいて困っている人がいたら、自分の持っているおにぎりを半分、分け与えることでしょう。

 

後から登ってくる人が道に迷わないように、道案内の目印をつけていくことでしょう。

 

足をくじいた人がいたら、その人を背負って山を登っていくことでしょう。

 

そんな山が、「喜ばせ山」です。

 

人間は、だれもが、このどちらかの山に登っているのです。

 

「損得山」に登る人は、こんな山に登ることになったことをいつも嘆き、いつも不平不満ばかりを口にします。

 

そればかりか、無事、山登りができていることさえ、当たり前のことだと思っています。

 

一方の「喜ばせ山」に登る人は、

自分が無事、山登りができていることを常に感謝し、自分が何かをして、人を喜ばせることはできないかといつも意識し、その答えを行動にうつしています。

 

自分は、どっちの山だろう?と考えられましたでしょうか?

 

もし、どちらかの山だとわかっても、あなたが高校生以上になっているのであれば、もうその山を変えることはできないでしょう。

 

義務教育といわれる中学生までの間に、どちらの山に登るのかが決まってしまっているからです。

 

 

いえ、

自分の親や、小学校、中学校の先生がその山を決めてしまうのです。

 

言い方を変えると、

その時、出会った大人が、

「喜ばせ山」の存在を伝え、

そのすばらしさを伝えない限り、

その山を目指そうとならないのです。

 

そうだとすると、中学生ぐらいまでの子どもたちに、その親が、教師がどんな風に、「喜ばせ山」について伝えられるのかで、その子が登る山がきまってしまうということです。

「喜ばせ山」に登るためには、その山に登った時の快感を伝えないと、登ろう!とならないのです。

 

あなたの周りの子どもたちは、どちらの山へ向かおうとしていますか?

 

いえ、

あなたは、どちらの山が楽しいよ、おもしろいよと伝えていますか?

 

どんな風に伝える人が多いのかによって、日本の未来、世界の未来が大きく変わりますね。

 

「損得山」は、勝ち負けにこだわります。

「喜ばせ山」は、自分そのものが価値です。

 

ありがとうございます。

 

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